女子供の「視点を取り入れる」ことについて。

子供の斬新で型にとらわれない視点を取り入れる、という趣旨のアイデアコンテストは多くある。子供といっていいかわからないが、まだ養われている側の人間も多い中高、大学生向けのビジネスアイデアコンテストなども含もう。

また、女性の活躍という文脈で、企業に女性にしかない視点を取り入れよう、というスローガン?のようなものもよく見る。

言っている通りに、子供の先入観のなさや、女性として生活してきた中で培われてきた視点や、女性性に依存した視点を取り入れるという目的もあると思う。
しかし、私が「子供のアイデアを取り入れる」方の大会に参加した経験からして、女性や子供の視点を取り入れる、ということにはある一つの共通点があるように思う。

それは、「養われている、あるいは今後自分で食えなくなっても養われることができる」という立場からの意見を求めているのではないか、という点だ。これはネットのどこかで男性が女性に、「会社で下手打ってもお前には(現在、未来問わず夫に養われるという)保険があるものな」というようなことを言うことがある、ということを知ってから考え出したことだ。
バイトくらいしかやったことのない私だが、会社に入って、自分で会社を経営する見込みや、転職してまた別の仕事につける見込みが確実にあるわけではない人にとって、
正しいと分かっている意見でも、自分の社内での立場を悪くするようなことはそうそうできないというのはわかる。特に、自分だけでなく、家族を養うような立場の人にとってはもうすごい重圧だろうという想像もつく。
そういった人たちの意見を代弁してもらう、という点もこのようなコンテストの趣旨にはあるのではなかろうか。もちろん子供たちに彼らの意見を直接言ってもらって、ということではないが、「責任がそこまで重くない者、外部の自由な者」という点も大きな趣旨なのではないだろうか。

私も何度かこのようなコンテストに駆り出されたことがあるが、普段批判されがちな私の生意気さだったり、人に気を遣わず思ったことをそのまま口に出してしまう性質が、「クリエイティブ」で「子供らしい、斬新な」アイデアだとほめられて、たいへん嬉しかった覚えがある。
私の生意気さこそが、彼らに貢献しやすい性質だったのではないか、と今も思う。
でももうすぐ社会に出る私は、きっとこの性質を近いうち失うことが望ましいのだろう。